最近は待った本があります。
それがこれ。
『運命のシナリオ 宇宙の流れに乗れば奇跡が連続する』(天外伺朗)
すごーくざっくり言うと、宇宙にはシナリオがあって、基本、物事はその通りに動く。
そして、物事がシナリオ通り動くように、そのシナリオの登場人物が選ばれる。
著者の天外伺朗さんは、CD(コンパクトディスク)の開発に関わった人なのですが、このタイミングでCDの開発がなされ世に出るというシナリオがあり、そのシナリオを勧める人間としてたまたま天外伺朗さんが選ばれた、というのです。
おもしろくないですか?
未来は決まっている?
易にはまったユング
先にご紹介した『運命のシナリオ』の中では、ユングの話が出てきます。
彼は随分と、易にはまったとか。
易といえば、私の記憶で言えば、ジョセフ・マーフィーも随分はまって研究したようです。
森田健さんが的中率9割とした六爻占術も、たぶん、易の一種じゃないかと思います。
天外さん曰く、易というのは2進法だと。
これはもしかしたら、私たちには読み解くことができない、あの世(?)の情報を取り出す仕組みなのかもしれません。
さて、易の占い結果がけっこうすごい、という人は多い。
私自身、ジョセフ・マーフィーの『マーフィーの易占い―潜在意識と易の秘密』という本を参考にやってみた時期がありました。同じことを何度か占うと、出る掛は違うのですが、意味はほぼ同じ。ちょっとゾッとした記憶があります。
易は情報をダウンロードするツール
その的中率が本当だとしたときに、森田健さんはこんな仮説を持ちました。
「実は、未来は決まっているんじゃないか?」と。
厳密に言うと、9割決まっているけど、1割くらいは変更できる要素がある、というのが森田さんの考え。
これ、いわゆる「決定論」といわれるものだと思います。
非二元(ノンデュアリティ)といわれる、スピ系の話の中にも、この決定論らしきものは大きなテーマとしてよく出てきます。
現実はすべて決まっていて、私たちは意志で何かを選んでいるわけでなく、私たちが気まぐれに下したように見える選択でさえ、それはそうなることが決まっていたんだ、という考え方です。
冒頭の、天外伺朗さんもほぼそんな感じじゃないかと思います。
未来は決まっていて、その情報がどこか見えない世界にある。
その情報にアクセスすることができるというなら、それは「よく当たる占い」になり得るのでしょう。
易というのは、その情報を二進法でダウンロードする方法なんだろうな、というのがここまでの仮設。
時間と因果律
時間は存在しない?
ところで、「時間は存在しない」というと、皆さんどう思われるでしょう。
そもそも、アインシュタインの言う、時間の伸び縮みがあるという話や、
場所や状況によって時間の流れが変わるという話でさえ感覚的には理解しにくい。
なのに、最新物理の世界では、「時間は存在しない」という説があるそうです。
という、天才物理学者といわれる方の著書が興味深いです。
一般の方でも、わかりやすいように書かれていますので、おススメです。
理論物理学の世界では、本書のみならず、時間というものの扱いは、過去から未来に一方向に流れるもの、という理解を超えた世界があるので興味深い。
ただ、時間が流れてるとして、どっちが未来でどっちが過去と指示せないことが、その理解を妨げる要因泣きもしますが、何だかわからないけど、一般的な理解の時間とは違う捉え方が理論物理学の世界で話されているらしい、という話だけ、ここではしておきます。
因果律が成立するためには
原因があって、結果がある。
この関係が成立するには、過去の原因と、未来の結果が必要になってきます。
しかし、時間はなくて、過去も未来もないなら原因と結果って成立するのでしょうか?
すべてが混在してここにある、というどことなくシュレティンガーの猫てきな混沌が私たちのいる世界なのかもしれません。
もし、原因と結果の関係が成立しないとすれば、
私たちが何をやったから、こういう結果が出ました、という話は成立しなくなります。
結果は結果としてあるのだけど、それを引き起こす原因があるわけでなく、ただ単にその結果が生じる、ということだけが決まっているわけです。
冒頭の書籍で天外伺朗さんは、そこに着目し、そういた「結果」がある場(天外さんは「あの世」と呼んでいる場所)に畳み込まれている、という話になります。
つまり、何をやってもやらなくても、決まった結果は決まった形で起こるんじゃないか、ということです。
もっと細分化するなら、私たちの行動一つひとつも「決まった結果」として選択しているようでいて、選択していないのかもしれませんが。(そこまで行くとまさにノンデュアリティの世界の考え方ですね)
決められた結果を上手く活用する
流れに乗る方法
天外さんの本によると、運命のシナリオに乗るには…
- まずはあたらしいことをちいさくはじめてみる
- そのことがとんとん拍子に進みそうならGOサイン、生涯が度々現れるようならNG
- NGの場合は違うことを始めてみる
ということ。
なんとなく、上手くいくか行かないかをしっかり見極めよう、ということですね。
私自身が流れに乗ったらしい事例
ここで、比較的最近、私が「きっと運命のシナリオに乗った」と思ったシーンを少しお話します。
私はある組織で、自分のチームを作る必要がありました。
だいたいのメンバーは決まりましたが、あと一人、どうしても欲しいメンバーがいたのです。
しかしその一人は、既にほかのチームのメンバーとして活躍していました。
私からみて、その人は、そのチームにいることを希望しているような気がします。
さらに言うなら、私のチームはすでに規定人数に達していて、人を増やすことはできません。
そんな状況だったので、半ばあきらめていました。
あるとき、今の私のチームメンバーの一人が、ちょっと厄介な問題を起こしました。
その影響で、メンバーを去ることになったのです。
ここで空きが一人分できました。
その穴をどこで埋めようかと考えている矢先、もともと欲しかった人が、今のチームに不満を感じていることを聞きつけました。で、単刀直入に、力を貸してくれないか?とお願いしたところ、快諾。
しかし、元のチームはその人を手放そうとしないかもしれません。
そこで、元チームのリーダーに直談判。
そのリーダー、色々と状況を読み違えていたみたいで、勢いで手放すことを快諾しちゃいました。
後日、その元チームのリーダーの上司のような人からクレームが来ましたが、上司と元チームのリーダーの連携が取れておらず、あれよあれよという間に、そのほしかった人が私のチームに加わりました。
これって、もう運命のシナリオを感じないわけにはいきません。
ここまでわかりやすいケースはまれかもしれませんが、小さなシグナルをしっかり受け止めることが大事なんだろうな、と思います。
まとめ
で、結論としてまとめます。
シンプルに、「努力なく前に進むことはGOサイン」。
「頑張ってもなかなか前に進めないなら、NGサインで別の道を探ろう」
ということ。
世の中ではやったGRID(やり抜く力)とはちょっと違う方向感ですが、私的にはこっちがあってる気がします。皆さんはいかがですか?