私は時折、「ストイックな人」と言われることがあります。
大抵の事はゆるゆるで、ちゃらんぽらんなんですが、スイッチが入ると成果が出ようが出まいが無心に続ける人だからのようです。
たとえば、ブログを何十年も毎日書き続けたり、一時期、過疎ってるYouTubeチャンネルに毎日動画を投稿したり、1年で300冊の本を読んだり、毎週山登りに行ったり……
ストイックというのは、「禁欲的で、厳格に身を持するさま」という意味。
楽しくてやってる自分的には当てはまらない言葉です。
が、ストイックの言葉の語源となった「ストア派哲学」の考え方には気持ちが通じるところがありましたので、少しわかる範囲でまとめていきたいと思います。
古代ギリシャで明らかだった幸せに生きるコツ
苦しみは「どうしようもないこと」を変えようとして起こる
以前開催したワークショップで、こんなワークを参加者にしていただきました。
今目の前にある課題を全て付箋に書き出していただきます。
それを、「コントロールできる課題」と「コントロールできない課題」に分けておいていきます。
コントロールできる課題というのは、自分の行動で解決できる課題。
コントロールできない課題というのは、自分が何かをしても動かしようのない課題。
たとえば、上司の性格が悪いとか、配偶者がぐーたらだとか、景気が悪いとか、物価上昇がキツイとか。
で、結果を見てみると、多くの場合私たちは、「コントロールできない課題」に気をとられ過ぎという事。
だって、コントロールできないから、それを気にしてもしょうがないのに、それを何とかしたいともがいている人がとても多いのです。
大事なのは、コントロールできないことにはさっさと見切りをつけて、次へ進むことです。
状況が大事なのではない
ストア哲学の特徴はいくつかありますが、その一つが、「理性(ロゴス)で感情(パトス)をコントロールして、何事にも動じない心のあり方(アパテイア)を目指す」というもの。
生きていればいろんなことが起こります。
しかし、それに左右されることなく、自分の機嫌は自分でとる。
そうすることで、コントロールできることに集中して動くことで、様々な障害を乗り越え、ありたい姿に近づいていく。
こういったことは、感情的になりやすい20代にはちょっと酷な教えじゃないでしょうか。
20代というのは、全てを自分でコントロールできるかのような幻想を持ったり、自分でコントロールすることが美徳と考えがち。
しかし、40代を過ぎると、受け入れるべき現実、避けられない現実があることを分っています。
それを受け入れることができる、人としての器が出来上がりつつある人が多い。
ここまで来て初めて、ストア哲学が自己啓発として機能してくるのです。
40代からの自己啓発は、ストイックでありたいものです。

私たちは宇宙の一部
自然の法則の中で生きる私たち
古代ローマ時代の皇帝であり、哲学者でもあったマルクス・アウレリウスは、人は宇宙の一部という事を主張していたそうです。
まさにその通りなのですが、そのことはすなわち、私たちの営みもまた、自然の法則の中にあるという事。
大きな宇宙、自然の流れに逆らうことなどできない。
だから、起こる物事にとらわれず、常に、現状に即した心構えで生きることを薦めています。
生きていれば、日々色んな事件・事故に遭遇します。
それらもまた、宇宙・自然の法則の集大成の上に起こっていることであると考えられます。
また、宇宙の成り立ちをさかのぼると、宇宙のすべてはかつて小さな一つの点に集約されていたそうです。その「点」が一瞬にして広がったというのが、宇宙のビッグバン。
それはすなわち、今の、私たちや地球や、宇宙を構成するすべてのものが、かつては一つの点の中にあったのです。
すると、世界は一つ、という話がなんとなく納得できるような気がします。
法則は「絶対」
こういった法則は、例外がありません。
ビリアードの球をついたら、物理学の計算でその弾道が計算できるように、例えば人間関係も、そういった法則の中で展開されるもの、と思っています。
だから、そういった流れには、流されるのが一番だと思っています。
川の流れに逆らって泳ぐのは、とても大変な労力がいりますし、そもそもほとんど進みません。
けど、川の流れに沿って進めば、何もしなくとも行くべきところへ行きつきます。
私たちはその景色を楽しみ、味わえばいいのです。
やるべきことは、流れの中で、自分の出来ることを精一杯やればいいという事。
流れに逆らった願望は叶いにくいし、そもそも流れに逆らう願望が頭に浮かぶのはまれなのかもしれません。浮かんだ以上は、それもまた自然の法則に後押しされてきている物なのかもしれません。
だから、流れを読んで、そこに飛び込む。
そんな心の余裕をもって前進できるのは、40代の大人だからなのかもしれません。
